鬱に見えるが警鐘的でリアリズム
愛情と離別
惑星イガムを統治している青い身体に赤い目をもつドラーグ族。巨人型である彼らは、通常人型であるオム族を下等民族としてペット化しています。そんなドラーグの少女ティバは、オム族の女性の遺体を見つけます。そしてそこには小さな赤ん坊が。ティバは小さな赤ん坊を気に入り”テール”と名付け、首輪をつけてペットとして連れ帰ります。
テールとティバは仲睦まじく、少年となったテールと一緒に教育も受けるようになりました。しかしティバが思春期を迎え、少しずつテールと距離が出てきます。テールは益々勉学に取り組むようになり、そして現在の扱いに疑問を抱き始めます。そしてとうとうティバの住処から脱走します。そしてこの先で出会ったオム族の娘に連れられ、オム族の住処”廃園の大木”へと向かうのでした。
ドラーグ族に”恐怖の芸術”を感じる
ティバとテールが受けた教育ですが、これはヘアバンドみたいな機械を通じて直接頭の中に”記憶”を埋め込むという方法。一度学べば忘れる事のないこの機械は、テールも使えた事から全生物共通で使用できます。ここまでは知的生物として見れるのですが、生活とか生態になると・・・
一日の大半を瞑想で過ごすドラーグですが、瞑想中は身体が分解され他者と入り混じります。そして再び個人に戻るという不気味な描写でした。思想や体験を共有しているのでしょうか。眠る時は足が一本にまとまり蛇形態になります。オム族から見れば不気味な生態ですが、ドラーグ族から見たオム族とはどんな存在だったのか。
オム族は”駆除対象”
ドラーグ族は人類の悪行を知っていました。遠い過去に戦争を繰り返し惑星を荒廃させた生き物、つまり害虫として見ていたのでした。知能があるためペットとして飼われる事もありますが、大半は野良オム族として駆除対象にあります。そしてオム族ホイホイや毒ガスボール、グラウンドローラーという残酷な方法で駆逐していきます。
残酷と感じながらも、害虫に対してなら地球でも行われています。”支配の意味”を明らかにした本作は、絶望的なまでに上位・下位がはっきりしていました。究極の格差社会の姿ですが、ここに一筋の光”教育”というモノが降りてきます。SFで不気味さが強調されてはいますが、本作は”知識を手に入れる事で見える可能性”を示唆した、強烈な風刺作品となっていました。
コメント も、文句以外で・・・