生きるって辛いなあ・・・・
手書きの物語
とある療養施設で過ごしている老女。彼女は認知症を患い、過去の自分を思い出せずにいました。彼女と共に施設で暮らすデュークはノートに書かれている物語を毎日読み聞かせているのでした。
物語は1940年のアメリカ、シーブルックから始まります。別荘にやってきたアリーという17歳の少女に一目ぼれした青年ノア。かなり強引ながらも2人は付き合い始めます。しかしアリーの両親はノアに良い印象を持っておらず、「若気のいたりだよ。」と相手にしません。そして別れてしまいますが、運命は2人を近づけていくのでした・・・

幸せの後ろには不憫な影
この”読み聞かせ”ですが、いい話なんですよ。あるあるパターンの王道で、別れた2人もそれなりに人生を送っていて、それなりに恋人もできて・・・しかし何かの悪戯か、再会してしまった2人!!!みたいな。でもほら、そうなると恋人の方々ってさぁ・・・
特に今回はアリーの恋人ロンが不憫でなりません。男前で金持ちで身分もあり、残念な事に性格的な問題も見当たらない。ノアより良物件。そういう打算的な事柄を放り投げるから良い話になるのですが、かなり可哀そうな役回り。一番翻弄されたのは間違いなくロンです・・・
スマホがない時代だからこそのロマンス
身分が違う、環境が違う、距離も引き離される。現代ならスマホで解決案件。本作は電話すら使いづらい1940年代だからこその”アジ”があります。この世界観を”羨ましい”と感じるのか、それとも”滑稽”と感じるのか。2025年現代の10代若者達に聞いてみたい気持ちが湧き上がります。
作中物語の方に話がよりましたが、メインは老人・老女となっています。認知症で混乱している老女と一緒にいるために、この老人が出来る事は”物語を読み続ける”事だけでした。それは幸せでもあり、苦労でもあります。誰かのために何かを続けれる、これが愛ってヤツですかね。昔観た時より泣いちゃった・・・



コメント も、文句以外で・・・