警察が酷すぎて何も信じられない・・・
死刑囚サポート
ハーバード大学法科院生であるブライアン・スティーヴンソンはインターンシップに参加します。そしてアラバマ州で目にしたのは、囚人に対する酷い扱いでした。そもそも貧しい事が理由で正当な法的弁護を得られないという現実があります。ブライアンは司法試験に合格したあと、死刑囚サポーターであるエヴァ・アンスリーに出会い意気投合。そして事務所を開設します。
ブライアンは早速死刑囚との面接に赴きます。複数人との面会をこなし、最後に会ったマクミランは過去の弁護士からも不当な扱いを受けてきたことから、ブライアンのことも信用できません。しかしマクミランの事が気になるブライアンは、過去の事件を精査し始めます。するとそこには”何の証拠もない、いい加減な手続き”で逮捕された経緯がありました。そしてブライアンはマクミランの弁護へ動き始めるのですが、それはまさに勝率0%の戦いでした。
”冤罪”をテーマにした実話
この事件に関しては、”マクミランが犯人”と断定された元で裁判も行われています。裁判が始まる前から死刑囚の監房に入っていたこと、唯一の証拠である目撃証言は1件だけで白人の犯罪者。そして極めつけは裁判時間が1時間程度という異常さ。粗い証拠でトントン拍子に判決されるには検察だけではなく、むしろ”弁護人”も諦めている・犯人と納得している状態でなければあり得ません。話が進めば更に闇深い人種・貧困差別が明らかになります。
アメリカでの”黒人差別”がはっきりと描かれています。それは弁護士ブライアンですら同様で、死刑囚の面会の前に丸裸にされチェックを受けています。弁護士に行う行為ではありません。更に事件の真相に触れようとすれば、車を走らせているだけで拘束されます。黒人として生まれた時点で生活が奪われていたのでした。1980年代においてもこんな事が実際にあったのか、と思うとなんだか虚しい気持ちになりました。
警察が正義とは限らない
”正義”という言葉を見失う作品。警察に捕まり、証拠が出てきて、そして裁判で判決される。この手続きが一般市民を”信用”させてしまいました。”警察の手にかかれば、これほど簡単に犯罪者を作れる”というお手本を見ました。黒人に限った事ではなく、これはホラーであり”有利な立場にいる人間”が存在している事を警鐘しています。
実在するブライアンはこの先もずっと死刑囚のサポートを行っています。こういった”悪”が存在する時には必ず”正義の味方”が現れるものなのですね。ブライアンの「貧困の反対は富ではないのです。貧困の反対は正義なのです。」という言葉が刺さりました。正義が全うされれば貧困問題は解消されるかも・・・なんて希望を持ってしまう映画でした。




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