今観るべき作品
昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ
昭和21年9月21日の夜、三ノ宮駅でうなだれている14歳の少年、晴太。瘦せこけた彼の傍に”おにぎり”を置く人もいましたが、手に取る力すら残っていません。「節子」と呟いて息を引き取ります。晴太が持っていたドロップ缶から節子の遺骨が出てくると、螢と共に節子の亡霊が晴太を見つめるのでした。
昭和20年6月5日、B29が神戸に大規模空襲を行います。町は焼夷弾によって一面火の海。晴太は母を防空壕に逃がし、節子と貴重品を背負って走ります。空襲が一段落した後、母が大やけどしたと知ります。そして夜、母は亡くなります。身寄りのなくなった晴太・節子の2人は西宮の叔母さんを頼るのですが・・・

晴太と節子が失った
晴太と節子は日常が奪われました。家族が、母がいる明日を奪われました。住む場所を奪われました。叔母さん宅でも今までの自由を失います。そして14歳の晴太は”節子と2人で生きる”という選択をしました。
生きるため”だけ”なら叔母さんの言う事を聞くべきでした。しかし晴太は”生き辛さから逃げる”ように2人だけの孤立した生活を選びます。2人は人との関りさえも失っていくのです。
失う事を恐れるべき
節子の笑顔を護るという、ある意味純粋な想いを感じますが、晴太の選択は命を縮める事に直結しています。まだ14歳で社会経験の無い、割と裕福だった少年の”これ以上何も奪われたくない”という想いは非難し辛いものです。もう節子しかいないのですから。
戦争は怖い。それは”命を失うから”ではなく”全てを失うから”です。本作では悪者がどうかという話はありません。環境が破壊され、人間関係が分断され、どう生きていいのかこの先未来が視えなくなる。これほど恐ろしい暗闇はありません。反戦とか戦争ダメとか、それよりも単純に”戦争は怖い”から理性ある人間として起こしてはいけないのです。そんな事を感じながら久しぶりに鑑賞しましたが、お腹いっぱいになったのでもう観る事はないでしょう・・・辛すぎ・・・



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