誰のセイでもないよね・・・
感情が抑えられない
9歳の少女べニーは、幼児期に受けた父親からの虐待がトラウマとなり、感情のコントロールができません。ちょっとした事で癇癪をおこし、人にも物にも激しく当たっていきます。里親や施設もべニーを受け入れる事はできず、30ヶ所以上をたらい回しにされていました。
新しく移った施設はべニーの通学付添人として、非暴力トレーナーのミヒャを担当させます。2人は徐々に打ち解けていくのですが、べニーの症状が落ち着くことはありません。このままでは施設を追い出される事になります。そこでミヒャは”矯正プログラムとして”三週間、山籠もりを提案します。そして2人は山小屋で共同生活を始めるのでした。
\サブスク引き籠り応援団です/システム・クラッシャーという病名はないですよ
社会的・福祉的なプログラムやシステムに当てはまらない存在として描かれたベニー。両極性?統合失調?愛着障害?全てが疑える状態ですが、どれかの病名がついて対応しているわけではありません。誰もベニーを理解できないし、抑える事もできない、という単純なことなのです。
病名がはっきりしない、それは”治療方法がわからない”という事になります。最悪縛り付けて薬を打つしかないのです。しかし問題点はソコじゃない。ベニーは悪くない、母親は仕方ない、施設はどうしようもできない、つまりは”ダレモワルクナイ”のです。そう、誰にも何もできないのです・・・
誰がベニーと暮らせますか?
母親と暮らすことが最大・唯一の願い。そんな綺麗な物語ではあるのですが、正直に言ってこれは無理。完全に彼女の為だけに人生を使う人が必要です。何もない小屋で人との関りを断った状態で、彼女が信頼・愛する人を置く。それ以外に方法があるのでしょうか・・・
社会や福祉への問題提起作品と思いきや、どうにもならない事だってあるんだよ!と訴える作品でした。序盤は大変だなあ→中盤からベニーがんばれ、しかし終盤では”ムリだ、これはムリなんだ”という思いに。人間同士、言葉で分かり合える、手を尽くせば、それは夢物語。やっぱりどうにもならない・できない人間関係は存在するのですよ・・・




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