いつの時代も変わらぬ”青春”
不良と神様
1960年代の長崎、父親の都合で佐世保の親戚に預けられる事になった西見薫。過去のトラウマから注目を集めると吐き気がする体質です。転校初日の昼休み、迎律子の案内で校内を周りますが、転入生として注目されたため吐き気が出ます。屋上へ逃げ込もうとしますが、出入口前にはソファが置かれており、その上で寝ていた男性がいきなり薫の手を掴み「神様、迎えにきてくださったとですか。」と微笑みかけてくるのでした。
この男の名は川渕千太郎、律子の幼馴染で札付きの不良。薫が一番関わりたくない存在でした。しかし屈託のない千太郎の存在が気にかかります。そんなある日、律子の実家がレコード店であると知ります。また律子も薫がクラシックピアノを弾くと知り、地下にある防音室に連れて行きます。するとそこにはジャズのリズムを叩くドラムの音と千太郎の姿がありました。クラシックな薫は自由奔放なジャズと千太郎に惹かれていくのでした。
1960年代の特有な悩みと青春の悩みを織り交ざて
60年代の長崎といえば米軍基地。戦後20年経つも復旧半ばの日本には偏見の目が多い時代でした。学生達は現代と変わらぬ姿ですが、要所要所に”長屋・春宿・混血”といった問題が見えていました。またジャズが皆を繋いでいく様子からも、関わり方が現代とは大きく異なっていたことが伺えます。
大きく変わろうとする混乱真っ最中の日本ですが、学生達は今も昔も変わらず似た悩みを抱えていました。家庭に勉強、恋愛に友情、趣味と生活、そんな悩みを抱えながら喜び悲しみ絶望し、そして立ち上がり成長しいく姿に”明るい未来”の存在を感じました。
辛い坂道でも登ればそこにいる”あいつ”
薫の通う学校は急な坂道になっており、「試練かよ。」と不満げに通っています。特に転校した時期は夏で、暑さと坂にうなだれています。つまらない学校、しんどい坂、慣れない環境と笑顔の出ない生活を送る薫。しかしこの坂の始まりや途中、上った先で会う千太郎が笑顔を取り戻させていきます。
最後まで特に題名は気にしてなかったのですが、最終巻で意図に気付きます。”鈍いな・・・自分・・・”と自身の鈍感さにびっくり。笑い・泣き・喧嘩して、疎遠になっても自然に集まってしまう関係に感動しました。僕にも「アポロン」に値する眩い友人がおります。いや、漫画と同じではなく、もっと薄汚れた感じのアポロンですが・・・時代も環境も違うのに、勝手に自分に当てはめてしまいどっぷり感情移入してしまいました。読めば同じ想いをする方が多い作品だと思います。
コメント も、文句以外で・・・