微妙な空気がいい味
”何しに来たの?”
森でバッタ捕りをしている少女ウェン。捕ったバッタに名前を付け観察記録をしている彼女の前に大柄で入れ墨だらけの男が現れます。怯えるウェンですが男は柔和に話しかけ、「君と友達になりたいんだ」と握手を求めレナードと名乗りました。そして彼から「君の家に行く。ノックしたら開けて欲しいんだ。さもないと無理やり入る事になる。」と告げられ、ウェンは逃げ帰りました。
自宅では2人の父親アンドリューとエリックが過ごしています。そこに慌てて帰ってきたウェンが森の出来事を話していると玄関戸からノックする音が。外には武器を手にした人間が4人見えます。レナードが「これは武器ではない、道具なんだ」と話すが信じられません。そしてとうとう侵入され、全員捕まってしまいました。そしてレナードが話します。「世界の終わりを防ぐためには、君たち3人のうち誰かが犠牲にならないといけない。そうしなければ人類は滅亡するんだ。」と・・・
4人の男女が視た”ビジョン(夢)”
この4人は”この日初めて会った”といいます。そして共有している情報としては、”この森にすむ家族の誰かが犠牲にならなければならない”ことと、”夢で見た4つの災い”についてでした。
1.水が街を沈める
2.未知の疫病の出現と蔓延
3.空が落ちて来る
4.大地が焼き払わられる
1つの災いが起こるたびに4人組は仲間?の一人を犠牲(生贄)にし、時間をかせぎます。しかし根本から鎮めるにはアンドリュー・ウェン・エリックの誰かの犠牲が必要。説得と脅迫と懇願を繰り返すレナード達は”真実”を話しているのだろうか・・・?
この家族から視てみれば
混乱の極みです。70億か家族3人のうちの誰かの犠牲か。しかもTVで災害が起こったのを確認する度に、目の前で一人ずつ4人組の誰かが殺害され埋められていきます。”お前らのうちの誰が死ぬか決めろ”と、仲間の死をもって訴えてくる恐怖感はたまりません。なんせこの選択肢には、”救い”も”そうなった理由”も無いのですから。
家族か世界かという究極の選択ですが、ここには等価性はありません。本作は不条理系意味不明作品に分類(僕曰く)されていますので、真理追求より”こういう作品ね”という感情でラストシーンを観ました。あとはレナード役のデイブ・バティスタがゴツスギルのが印象的でした。あの体格で性格穏やかとか、ギャップ萌えを狙った役が多いのもデイブ出演作の特徴です(映画の話ではないですな)。
コメント も、文句以外で・・・